世代を継ぐ東北・新潟の病理学会活動

日本病理学会東北支部長 手塚 文明

1.第一世代

 東北・新潟地域に組織化された病理学会活動は、1972年8月秋田で-開催された第1回東北新潟・病理検討会(TNPC)に端を発し、それ以来およそ30年の歩みを刻んできている。 今の私どもにとって、診断や説明の困難な症例に遭遇すると、コンサルテーションやセコンド・オピニオンを求めることが比較的容易である。しかし、30年前に大学の枠を超えて、また大学と市中病院が同じ地平に立って、そうしたものを求め合うことは必ずしも容易でなかった。時に冒険的な勇気さえ必要とした。そのような状況下で東北・新潟七県と函館市を含む地域に病理医の集まりを組織できたのは、当時中堅の病理学者であった大西義久(新潟大学)・綿貫 勤(東北大学、後に秋田大学)・高山和夫(岩手医科大学)ら諸氏が、「権威主義を排し」、「浴衣がけのくつろいだ雰囲気で」、「自由闊達な意見交換を!」と呼びかけたからであった。この会は、発足直後3年の躓きを乗り越えて、毎年夏に世話人と開催地を持ち回りにした難解剖検例検討会として定着した。 これに対し、手術生検例を対象にした検討会を望む動きが起こり、並木恒夫(国立仙台病院)・中村克宏(国立仙台病院)両氏の呼びかけで、1977年2月に仙台で第1回生検例スライドセミナーが開催された。爾来このセミナーは毎年冬に仙台で開かれるようになった。このようにして、東北新潟地域には、TNPCとして冬夏2回の例会が定着したのである。

2.第二世代

 1982年に日本病院病理医協会・東北新潟支部(JSHP-TN)が結成され、以来その交見会がTNPCに併設した形で開催されるようになった。JSHPの正会員はそう多くなかったが、交見会にはいつも魅力的な主題が掲げられ、これに関連した特別講演と一般演題がプログラムされ、非会員を含めた多くの参会者が集まった。このことが、地域の学会活動を大きく発展させる原動力となったと言っても過言ではない。 そして、流れにも変化が加わった。難解剖検例を主な対象にしていた夏のTNPCが次第に生検例を取り込み、内容的に冬のTNPCとの差異が無くなる。また、90年代に入ってTNPCをJSHPに一本化しようとする議論が起こる。 当時一本化には根強い反対意見があったが、事実上の同化はどんどん進行していった。まず、冬のTNPCとJSHP交見会が1991年以降同じ内容となり、次いで1994年から夏のTNPCとJSHP交見会が同一のものとなった。こうしてJSHPは、事実上TNPCを吸収したが、自らも2000年2月の交見会をもって発展的な解消を遂げ、日本病理学会東北支部へ引き継がれることになった。 この間の演題数は優に1000題を超えている。この世代は発展の時期であり、並木恒夫(国立仙台病院)・若狭治毅(東北大学、後に福島医科大学)・渡辺英伸(新潟大学)・岡崎悦夫(新潟市民病院)ら諸氏の情熱と行動力に満ちた強いリーダーシップに負うところが大きい。


支部長あいさつ2000

3.新たな出発

 こうして東北新潟地域の活動はTNPC-JSHPから社団法人・日本病理学会東北支部へ、若狭治毅・初代支部長のもとで、形を変えることになった。これは学会支部活動の近代化・民主化であり、新しい時代が強力な個性から合議による意志形成を求めることを示唆している。これまでと同じような学術活動の展開を期するとともに、私たち病理医は医学と医療の中でどのような役割を果たすべきなのか、真剣に考えなければならないように思う。病理医の社会的認知を広め地位の向上を図ること、後継病理医を発掘し育成に努めること、そのために大学病院と市中病院がどのような協調関係を構築できるのか、みんなの力を合わせたいものである。

(2000年4月1日)