東北・新潟病理検討会の歩み
前・日本病理学会東北支部長 若狹 治毅
日本病理学会の社団法人化に伴って各地区に支部が設立されたため、東北・新潟病理検討会(TNPC)は従来の任意団体から発展的に解消することになり、この機会にこれまでの実績を形として残すことが話し合われた。 多くの病理医が長年にわたって真摯な発表と、活発な討論を展開してきた検討会の歩みを一冊にまとめ、次の世代の活動と発展の糧にすることも意義深いと考えられた。丁度、私が支部長の任にあった関係で、この企画を実現するため資料の蒐集から始め、収録の完成までかなりの期間を要したが、多くの方々のご協力によって幸いゴールに辿りつくことができた。
TNPCは大西義久、綿貫勉両先生の肝いりで、この地域における病理医が各施設の枠にとらわれず、日頃悩んでいる症例について自由に討論し合い、科学的に何らかの結論を出す場を共有しようとすることから始まった。第一回が1972年(昭和47年)8月に秋田市で開かれ、第二回が少し間をおいて1976年8月に新潟市で開催されている。私自身もアメリカで3年間、忌憚なく意見を言い合うカンファレンスを経験してきてあまり日が経っていなかったので、お互いに遠慮せずに話し合う雰囲気の生まれることを願ったものである。ついで1977年には並木恒夫、中村克宏両先生の企画で生検例セミナーが開催され、TNPCは剖検、生検の両方を対象とするようになった。このため、この年から検討会を年に2回定期的に開くようにし、夏期(7,8月)は剖検例を中心に各県持ち回りで、冬期(2月)は生検例について仙台市で行われたが、夏期の会も次第に生検例が多くを占めるようになった。
やがて1982年には夏、冬共に日本病院病理医協会東北新潟支部標本交見会(JSHP-TN)が加わることになったが、TNPCとJSHP-TNはいつも同じ世話人の元で同時期に開催され、この年から土曜日午後から翌日曜日午後まで2日間に亘るようになった。各世話人のご厚意で懇親会も企画され、お互いに大いに語り合い親睦を深めたものである。この間、並木先生が両方の代表として運営に当たってこられた。なお、病理医協会の支部長は、笹野伸昭先生が初代を、並木恒夫先生が二代目を務められ、並木先生が1994年国立仙台病院を退官後、名倉宏先生が三代目の支部長となられた。
病理医協会の交見会では教育講演、シンポジウム等も加わり、TNPCと共に参会者に裨益するところ大であった。その後日本病理学会東北支部(JSP-TN)の設立に伴って両検討会は1999年から支部の活動に一本化されたが、この会も回を重ね2000年2月には第50回の節目を迎えるに至った。
本記念誌は第50回までの検討会における演題、診断、発表者を収録し、これに支部会員からの投稿を加えて一冊としたが、これはいわば東北・新潟地区の病理医が歩んだ歴史の一里塚である。21世紀には医学の進歩に支えられ、医療に寄与しうる、より充実した検討会として発展し飛躍することを期待したい。
本誌をまとめるに当たり、これまで検討会を支えてこられた代表者、各世話人並びに幹事を始め、広く支部会員の方々から多くの原稿を頂戴し、お陰で立派なものとなり深く感謝している。 なお編集の実務については、手塚文明支部長、岩間憲行先生および事務局の献身的な協力によるところ大であった。厚くお礼を申し上げたい。
(2001年7月10日)